開業した理由
公開日
おはようございます。みどリハのみねざきです。
気持ちの良い朝ですね。当院は日当たりが適度に抑えられているのか、比較的涼しく感じます。
開業した場所は、以前はワインのお店だったと伺いました。
壁や天井など、とてもお洒落なつくりをされていて、そのまま引き継ぐことができましたので、内装を考えるうえで大変助かりました。
ある意味、バーみたいな雰囲気ですね。
院内の物品や照明なども、自分なりにこだわりました。入って頂くと、空気がきれいな印象を受けるかもしれません。
僕がお世話になっている仙台の恩師の治療院は、入っただけで体調がよくなるような空間でした。
長年献身的に患者さんをケアし続けた結果、作り出されたものでしょう。
いつかは、あんな感じに育ってほしいと思います。
さて、今日は自分が創業を決めた理由を書きたいと思います。
簡単に自己紹介をさせていただきますと、昭和58年生まれの36歳。
理学療法士歴は13年となりました。
上尾市の介護老人保健施設へ入職し、その後に騎西町(現在は加須市)の病院へ。そこでは、理学療法科の立ち上げを行いました。
それから、伊豆大島の離島へ半年間ほど。
帰ってきて、川島町の整形外科クリニックに就職。
そこで整形外科疾患の対応をしっかり勉強して、川口の整形外科クリニックで再び立ち上げを行いました。
7年間在籍し、当初は2名の理学療法士が所属していた小さな組織も、5名が所属する組織へ成長。
「そろそろ自分が抜けても、後輩にバトンタッチしても良いかな」と思い、4月に退職いたしました。
以前の職場では、主任の様な立場でしたので、収入面も安定していましたし、何より病院です。毎日患者さんが多くやってきます。
理学療法士は一週間に医療機関で診ていい患者さんの数(単位数)が決まっていますが、毎週フルで入っていました。
とにかく患者さんを一日でも早く良くしたい。そこだけを追求して、臨床を続けてきたのですよね。
ある程度自信がついてきた時期、仲間のケアマネージャーから、こんな相談を受けました。
「会ってほしい患者さんがいるんだけど…」
その方は、40代の女性。脳梗塞による、左半身麻痺を患っていました。
職場で倒れ、総合病院や退院後のデイケアで懸命なリハビリを行うも、改善せず。本人は、発症当初よりも経過していくほどに、身体が悪くなっている感じがすると話していたそうです。
本来であれば、自然治癒とリハビリの効果で、時間の経過とともに改善するはずです。
でも本人は、経過していくほど悪くなっていったと話していました。
小さなお子さんが二人いて、旦那さんは仕事で精いっぱい。
甘えたいお子さんの相手と、左半身麻痺を患った身体での家事仕事。
将来に希望が見えない中で、藁にもすがる思いで、解決策を探していたようです。
仲間のケアマネージャーは勉強仲間でもあり、自分のリハビリなら、改善の可能性があるのではないかと考えたみたいです。
紹介を受け、さっそく患者さんのご自宅へお伺いしました。
初めて家に入った時の第一印象は、ずっと忘れません。
「病院から出た患者さんは、こんな過酷な生活を送っているのか…」
そんな思いが頭をよぎりました。
何とかしてあげたくて、精いっぱいのリハビリを提供しました。
でも、わずかな変化しか出せませんでした。
患者さんにとっては、今までのリハビリで全く変化を感じられなかったので、少しでも前進した印象を持てたことが、とても大きかった様です。
それから3年間にわたり、毎週土曜日。患者さんのご自宅へ通い続けました。
患者さんご本人の努力、そしてご家族の支えもあり、念願だった復職を叶えたのです。
言いたいのは、決して僕の腕一本で改善したわけではないということです。
僕はあくまで身体のケアを通して、改善の筋道を作っただけ。
結果的には復職できましたが、まだ左半身は不自由な状態です。ようやく左手が動くようになってきたところ。
まだまだ、先は長く、そして長いおつきあいになりそうです。
僕は様々な研修会に参加し、自分自身も「3-stars」という団体を持って、北本市で後輩の指導に力を注いでいます。
実力だけで言ったら、そう簡単には負けません。
でも、人の身体は難しい。この印象はずっと変わっていません。
適切なリハビリとご本人の努力、そしてご家族を中心とした周りのサポートがあれば、どんな状況であろうとも変化は可能なはずです。
僕はそこにチャレンジしたくで、開業致しました。
その中で、北本市に住む方が元気になり、そのご家族も元気になり。
街に活気がでれば、これ以上の幸せはありません。
もしこのチャレンジが失敗したとしても、後悔は絶対にしません。
病院では知りえなかった真実を、自分の目で確かめていきたいと思います。
今後とも、みどりリハビリサービスをよろしくお願いいたします。 みねざき